夕食も終わりたまたま付いていたテレビを見ていましたら、NHKでカンボジアのアンコールワットの近くに住む人たちの暮らしを紹介する番組が映し出されていました。

あまり東南アジアの歴史に詳しいほうではないので、アンコールワットと言えば有名な観光地で、世界遺産になっている重要な遺跡の1つである、ということぐらいが自分の中にある僅かな情報でした。

その番組は、カンボジアの暗黒時代であるポルポト政権時代を生き抜いてきた老人の話を紹介するところから始まりました。

「ポルポト政権時の話なのだろうか」と思っておりましたら、だんだんと今の現地の人々の普段の暮らしにスポットを当てた番組であることがわかりました。

何か引き込まれるものを感じ、見続けておりました。引き込まれた理由はすぐにわかりました。

映る人映る人が皆、とても穏やかな顔をしていて、話しかけられると笑顔で応えているのです。若者も老人も子供も同じ場所の同じ空間の中にいて、絶えず笑顔で穏やかな雰囲気なのです。その空気感に、私の心が引き寄せられていったのは間違いありませんでした。

最近、日本でも旅番組とか、散歩番組とか、ホッとするような番組が増えてきたように思います。

歌手の前川清さんが田舎をぶらぶらして、そこの住民の方と気さくに話をする「タビ好き」という番組があるのですが、自分にとって安らぎを感じる波長のようなものがあるのでしょうか、つい見てしまいます。

その番組で何か情報を得ようとか、何か成長しようなどの欲は何もないのです。ただ、のどかで平和でまどろんだ空気感が心地よいのと、人々の自然な笑顔に癒されるのです。

戦後、競争が常識という緊張の時代を生きてきた自分たちのような世代にとっても、現代の生まれたときから型にはめられたような社会を生きてきた若者にとっても、この「ほんわか感」が心地よいのかもしれません。

冒頭の番組の話に戻りますが、とにかくテレビに映るカンボジアの人々の暮らしには、今の日本にある殺伐感がないのです。

テレビには映りませんが、映像の中から思いやりという心が日本人の自分にもはっきりと感じることができるのです。

もちろん、のどかな暮らしの中にもいろいろな問題はあることでしょう。

ですが、それ以上に彼らは物よりも心を大事にして生きていることが映像から伝わってきました。

カンボジアに引き継がれている仏教の教えが無理なく人々の心や社会に浸透し、質素な生活の中でも現状に幸せを見出すことで、穏やかな社会をつくっていることが伝わる、心が癒される番組でした。

現代の日本人は、セクハラやパワハラ、他人の子供に声を掛けにくい雰囲気、社会的暗黙ルール等、多くの規制の中で生きています。

高度文明を維持するため、ルールがますます増えていく社会に、息苦しさを感じるのは私だけでしょうか。

ルールは、物質社会の発展に比例しているような気がします。昔は細かなルールはありませんでしたが、それを補って余りある道徳心というものが息づいていたように思えます。ルールより道徳の方が人には優しいような気がします。

そういう私も数年前までは、他人との競争に勝って多くの物を所有することが「幸せにたどり着く道」だと思って生きてきました。

趣味のギターや釣り具も高級なものを買い込み、飾っては眺めるような生き方に達成感を得ようとしていたように思います。

しかし、物を手に入れることは興奮と喜びを与えてはくれますが、その喜びは意外に早く終わり、また次の物を求めるようになります。

新しい物を手に入れてはまた次の物へと手を伸ばしていき、それを繰り返していくことで、物が増え続ける欲望のループに入っていきました。

ようやく最近になって、物を追いかけていっても、幸せは手に入れることができないことに気付かせていただきました。

少々遅すぎますが、まあ、気付かせていただいただけ有り難いと思うようにしています。

ちょっと脇道に逸れましたが、またカンボジアの人々の暮らしの番組の話に戻ります。

そこには日本のような近代的な物はありませんが、自然に囲まれた日々の暮らしに満足している笑顔や、走り回る子供たちが抱いている希望や、お互いが助け合う社会の融和が感じ取れました。そっちの方がいいなー。と思う私がいました。

「どうして、あんなに物を持ちたがったのだろうか?」と自分に問い返してみると「相手より良いものを持っているという優越感を得たかった。」「 物という目に見える存在により、自分の人生が前進している証が欲しかった。」という答えが返ってきました。

物を多く所有することは、過去への執着心を増やすだけということが少しわかってきたので、思い切って断捨離もしました。

人間は、量子力学で言われているように、今、その瞬間瞬間を生きているだけのような気もします。人生は、その瞬間瞬間のパラパラ写真のようなものかもしれません。

物からは一時的な喜びしか与えられませんが、人から受けた親切や、自分の行いが人から感謝されたことなどは、ずっと心に残り穏やかな明かりを灯し続けます。

自分の幸せは、人に親切にして人を助けることによって、得られることなのかもしれません。更に考えると、人は他の人を幸せにするために生まれてきたのかもしれません。他の人を幸せにするために、自分の心を幸せで豊かに育てる必要があるのかもしれません。

「自分にも他人にも優しく」と、どこかで聞いたようなフレーズですが、今やっとスッと腑に落ちたような気がします。

この、カンボジアの人々の日常の暮らしの番組に、幸せは心の持ちようで、案外身近にあるということを気付かせていただきました。