昨年は、帰郷に関して随分悩みました。悩みの原因は、もちろんコロナ問題です。私の年齢になると母も義母も高齢ですので、私たちが行くことによってコロナは勿論のこと、他の病気に関してもリスクを負わせてしまうのでは・・・と心配しました。

そうは言っても、母も義母も年に数回の子供たちの帰省を楽しみにしています。楽しみにしながらも、母の方は母の方で田舎の世間体が気になり、今回は帰ってこない方がいいのでは?という気持ちもあったようで、私たちにとっても母にとっても難しい判断が迫られました。

母や子どもたちと話し合った末に、今回は妻の実家だけに帰省することに決めました。母は、私の兄と一緒に住んでいるということや、長崎県の平戸に帰ると福岡ナンバーの車が目立つということもあり、私の実家への帰省は取りやめました。

妻の実家に帰省を決めた理由の1つとして、義母が一人暮らしなので心配ということがありました。

11月に妻の実家に帰省した際、夕食後に義母が倒れて救急車を呼ぶということがあったためです。運よくその夜の宿直の先生が義母の病気の専門医であったため、すぐに緊急入院をして1週間程で退院して事なきを得ました。

それでも、日頃から元気でいつも笑顔だった義母の苦しむ顔が、私の頭にこびりついておりました。

さらに、退院した後もコロナの影響で地域の集まりが中止になったりで、イベント好きの義母の顔から元気がなくなっていくのも気がかりでした。

義母の家は、福岡から近い熊本の山鹿市付近ですので、福岡ナンバーの車も多く、帰省しても目立ちにくいです。それでも大人数で会うことは控えるようにし、兄弟の家族は別の日に帰省するという策を取りました。

まず、第一陣として12月31日に帰省したのは、妻と私と妻の兄の3人だけでした。

それでも義母は嬉しかったようで、大丈夫なのと言いたくなる程、動き回り、料理を作ったり、お風呂を沸かしたり、布団を敷いたりと大忙しでした。

そのテキパキと動き回る義母を見ていて、親と子の関係性に想いを馳せました。

私の経験では、母親と子供の関係が急激に変化するのは中学生時代でした。小学生までは、母親に頼りっきりで関係性など何も考えなかったのですが、中学生になると毎日の密な関係が母親から友達へ移っていきました。

未熟な独立心が芽生えることがその原因だったような気がしますが、母親に対しては少し反抗的でした。中には悪い友達もいるので、母親に話せない秘密もできたりしました。

それでも母は、小学生の頃と何も変わらず接してくれました。 私が悪いことをしたら叱り、試験や部活動でいい成績を上げると歓び、成長を楽しむかのようにご飯をたくさん食べさせてくれました。

今思えば、中学生時代に母親の本当の愛情を感じることができたような気がします。反抗期になり冷たい態度を取るようになっても、母は温かい愛情を注ぎ続けてくれました。

正に、見返りを求めない本来の愛の姿が、ここにもあるような気がします。

このようなことを想いながら義母を傍から見ていますと、どうもこの日の義母は、子どもたちが幼かったころの母親に戻っていたようでした。

子どもにお腹いっぱい食べさせて、お風呂に入らせて、温かい布団で寝かせるために動き回ることに幸せを感じていたように見えました。

ある意味、手伝ってほしくないのです。自分の体に染みついた、子育てしていた頃の自分のペースで動きたいのです。

昔に戻った義母にとっては自分の子どもではない私は余分かもしれませんが、子どもが連れてきた友達という雰囲気で、私もその中に入らせてもらいました。

私たちは、中学生の頃のようにご馳走をパクパク食べて、昔のアルバムや旅行の写真を見たり、ミカンを食べながら紅白歌合戦を見たりして時間を過ごしました。

そのうちに私も妻も妻の兄もこたつでウトウトするという、正に義母に任せっきりの大晦日になってしまいました。

心の中で呟きました。「お義母さん、本当にいいお正月を送らせていただきありがとうございました。私たちは中学生の頃に戻らせてもらいました。」と。

一時期は元気がなかった義母が元気になった姿を見て、私たちは安心しました。今回は短い帰省でしたけれど、本当に楽しかったです。義母の与えるだけの、本当の愛を感じる年末年始でした。

皆がばかばかしいことで笑い、お互いを思いやり、お互いに信頼し安心しするというお正月でした。私の母に会えなかったことは残念ですが、義母の幸せそうな笑顔からほんわかとした温かいものが心に残りました。

「お義母さん、コロナに気をつけて今年も元気にいきましょう。」と言い残して、1月2日の朝に帰路につきました。

私たちが帰った後は、第二陣の妻の別の兄の家族の帰省が待っていたので、義母は1月5日ぐらいまで忙しい毎日を送ったそうです。