私たちは日々様々な問題に遭遇し、都度の判断を迫られています。その下した判断によって、未来という現実が多少なりとも変わることになります。

自分自身もオステオカルシンサプリメント開発に於いて、多くの判断をしてきました。それぞれの判断が良かったのかと問われれば、首をかしげてしまいます。判断の元となる物事の総体的なことや、人の気持ちなどを汲み取ることが不足していたように思えるからです。

以前の自分はオステオカルシンサプリメントの開発を優先させるあまり、家族との関係・支援者との関係・従業員との関係・行政との関係・周辺住民との関係などを重視していなかったように思います。その裏には社会のための研究開発をしているのだという自惚れの気持ちががあったためでしょうか。反省しています。

そこで私は、60歳を過ぎて遅ればせながら道徳の勉強を始めました。平安で安定した心を得るためです。本当に小さなことから始めました。

笑顔で挨拶するとか、横から入ってくる車には道を譲るとか、道に迷っている人には積極的に声を掛けるとか、家族の行事に積極的に参加するなどです。

小さなことですが、貫かれている精神は他者尊厳ということです。

人間のイライラは、他人には「自分だったらこうしない。」「これは常識的におかしい。」「あの言い方は気持ちがこもっていない。」と思い、我が事になると「私は疲れている。」「忙しくて時間がないんだ。」と、全て自分本位の考え方から始まっているような気がします。

このような自身の感情は、同じような周囲環境を作ります。因果応報ということです。人間関係も物事もスムーズにいかなくなります。

しかし、道徳を持った生活に切り替えるとその逆になり、生活や仕事の環境の雰囲気が良くなります。発生するストレスも減少し、穏やかな生活ができるようになっていったように思います。

最近、面白く感じることは、道徳心は伝染するということです。例を挙げますと、私は車で通勤しているのですが、必然的に朝と夕方にラッシュに巻き込まれます。そういう中、私が道を譲った車はほぼ100%、同じように他の車に対して道を譲ります。

また、私は14階建ての公団に住んでいますが、特に朝は若い方からお年寄りの方まで多くの方と同じエレベーターに乗ります。そんな中にいつもブスッとしていた中学生の男の子がいました。その中学生に会うたびに挨拶をし続けていたのですが、挨拶を返してくれるようになったばかりか、建物の出入口ドアも開けて待っててくれるようになりました。

些細なことですが、道徳心は確実に伝染します。自分が変わることで、社会を少し穏やかにすることができるのです。以前の私は人並みの道徳心を持っていると思い込んでいて、自分の言動を省みることはありませんでした。もし、当時の私が本当の意味の道徳心に基づいた生き方をしていたら、オステオカルシンサプリメントの開発も、もう少し穏やかな雰囲気とスピード感をもって進めたと感じています。

もがいていた頃、救いはある日私の中に降りてきました。とにかく歩けという言葉。当時は歩けという意味は単純にウォーキングのことだと思い、ひたすら不健康な100kg以上の体重を抱えて歩きました。今となってみれば、単純に歩いただけの行為が新たに発生する病気を抑え、やがてオステオカルシンサプリメントの開発に繋がっていったように思えます。

今では道徳心により心を広げることで、自分にとって正しいか、正しくないかというよりも、健やかな考え(教え)であるか、健やかな考え(教え)でないかということに重きを置いて考えてみるようになりました。その健やかな考え(教え)とは、自然や人間社会に於いて調和を重視したものかどうかということです。その理由は、宇宙も自然も調和のために動いていて、そこに真理があるように思うからです。

情報が氾濫する現在においては、自分の哲学を持つことも大事かもしれません。オステオカルシンが目指す健康も、調和や平安を保つための重要なことだと思います。自分が健康であればそれだけ他人を尊重して、更に人助けができることにも繋がるからです。

グローバルという淡い膜の中身は、奪い合う競争社会でした。コロナは、一つの社会変革を促しているのかもしれません。今後、世界が奪い合う競争から、与え合う調和の時代に入っていくことを願うばかりです。