オステオカルシンサプリメントLIFEに於いて、心が安らぐ抗酸化食品というのは大切な部分です。

ストレスや体の中の酸化は、健康にとってはできるだけ抑えることが必要です。

私は、毎日の心が安らぐ抗酸化食品としてコーヒーを取り入れています。

心が安らぐ抗酸化食品としてコーヒーを選択したのは、そもそもコーヒーが好きでして夏はアイスコーヒー、冬はホットコーヒーと毎日飲んでも飽きません。それに、コーヒーには過去を思い出して心が安らぐのです。

今コーヒーと言えば、コーヒーショップやコンビニやファミレスのドリンクバーで飲むドリンクの一種というイメージが強いと思いますが、私が学生の頃のコーヒーは、飲み物というよりも雰囲気とセットで味わうものでした。

コーヒーの思い出

今ではあまり見かけなくなりましたが、以前は雰囲気のある喫茶店という形態の店がたくさんありました。

馴染みの喫茶店があることが、何かカッコいいと思える時代でした。好きな喫茶店の特徴は、薄暗くて気の利いた音楽が流れていることでした。

レコードプレイヤーにLPレコードをセットすると、針がゆっくりレコード盤の上に移動していき、静かにその上に降りていきます。その動きが優雅で好きでした。

針がレコード盤に触れると、大型スピーカーの低音を出すウーハー部分が前後に震えだして曲が始まっていく。という様子を見るのも心地よかったことが思い出されます。

そのお店で流れている曲は店のマスターのセンスで選ばれるので、音楽が店の雰囲気に直結していました。フォークソングやクラシックや洋楽やジャズなどが流れていましたが、それぞれのジャンルの好きなシンガーや演奏家というように、選曲一つとっても喫茶店により特徴がありその店の味を出していました。

私は田舎生まれですので、初めて喫茶店に入ったのは高校生のときに下宿をした佐世保という町でした。その頃の佐世保は、今振り返っても米軍基地の影響もあり、音楽的には刺激のある町だったと思います。何かブルースが似合う町でした。

私の高校の先輩の著書で芥川賞受賞作品の「限りなく透明に近いブルー」や、佐世保出身のクリスタルキングに代表されるように、少しブルース感が漂う異国情緒のある町だったように思います。

喫茶店も、雰囲気のいい店が多かったように思います。

喫茶店で最初に目にしたコーヒーの入れ方は、ドリップ方式のものでした。ドリッパーにセットされた紙のフィルターの中に、曳きたてのコーヒーの粉が入るとコーヒーのいい香りがしてきます。そして、真鍮のポットで沸かしたお湯を、細い注ぎ口からコーヒーの粉の中央に少し落とします。ここで一旦蒸らしという工程に入り、さらに2回3回と数回お湯を注ぎ入れてようやく一杯のコーヒーのでき上がりです。

そのでき上がったコーヒーを入れるカップも、その店のこだわりがあったように思えます。私が好きな容器は、英国調の繊細なデザインのカップのものでした。

コーヒーで好きだったのはモカとキリマンジャロでした。その頃は、ブルーマウンテンが一番高かったので、ブルーマウンテンを飲んだ時は特別な気持ちになったものです。

そんな私ですので、今でも以前のような雰囲気の喫茶店を見つけるとつい入ってしまいます。

高校の頃の思い出

高校1年生のとき佐世保のシティーボーイと友達になった私は、毎日が新しい体験の連続でした。

喫茶店もその友人から連れて行かれたのが最初でした。

薄暗い店内に入ると、友達は慣れた様子でいい感じにあめ色の光沢を放つカウンターを過ぎて奥の椅子に座り私を呼びました。

音楽はビートルズのイエローサブマリンが流れていて、客の中には外国人もいたことで、田舎者の私には異空間のように感じられました。

つい最近まで、家族で紅白歌合戦で演歌を含めた歌謡歌を聞いていた私の衝撃と緊張感は大きく、心臓の音が自分でも聞こえるほどでした。

座った私に友人が「ここのコーヒーはモカがおいしいよ。」と言いますので、「そう、それじゃモカ。」と、訳もわからずに初めてモカコーヒーなるものを頼んだのでした。今だにモカが好きなのは、この時の感動が大きかったからなのかもしれません。

学生の頃の友人の影響は絶大です。田舎者の私は、木綿のハンカチーフばりにアーリーアメリカティックな佐世保の色に染まっていきました。まるで、外国に来たかのような感じでした。その中心にあったのが喫茶店でした。

以前のブログで書きましたが、長崎での受験の際に帰りの電車に乗り遅れ佐世保で泊まりになってしまったときに、母とふたりで泊まった違和感のある旅館が連れ込み旅館だと教えてくれたのも実はこの友達でした。

歌に関しても、私が田舎でラジオで聞いていた吉田拓郎やかぐや姫ではなく、彼は洋楽中心でした。その訳は彼の家に行ってすぐに理解できました。

彼の家のリビングには、喫茶店に負けないようなステレオが置かれていました。音もすばらしく、トリノというアンプとJBLというスピーカーだと説明を受けました。

ギターを教えてくれたのも彼でした。彼から見れば、田舎者の私が逆に珍しかったのかもしれません。彼は高校3年の春に急に関東の方に引っ越しし、それ以来会っていませんが、彼との出会いが今の私に大きな影響を与えたのは疑いようもありません。

彼との高校の2年間は、今の私にとって大切な思い出になりました。 今でも福岡や出張先の雰囲気のある喫茶店での一杯のモカブレンドは、この友人との佐世保での思い出をフラッシュバックさせてくれます。幸福な気持ちになりますので、時どき心の食事として行かせていただいてます。