中村哲先生の勇気ある行動

先日、テレビでアフガニスタンで殺害された、ペシャワール会の現地代表の中村哲先生の追悼会が開かれている様子が放映されました。

1年前の悲報には私も大きな衝撃を受けたことを覚えています。

テレビの前で見ているだけの私が、このように思うのは失礼だと思いますが。

アフガニスタンの人達のために尽力されているのに、アフガニスタンで銃撃されて亡くなられたことがとても理不尽に感じられました。

中村哲先生は、医師として1984年にパキスタンのペシャワールの病院に赴任されましたが、その後、隣国のアフガニスタンの戦乱と難民の苦しい生活を知り、パキスタンとアフガニスタンの両国で医療活動をされました。

2000年にアフガニスタンで発生した干ばつにより多くの人が飢え苦しむ姿を見て、現地で井戸を掘ったり用水路を作ったりして農地を開拓されてきました。

当然ながら、普通に考えてとてもできることではありません。

そして、危険な環境下で、現地の人と一緒に泥まみれになって作業される姿は、本当の援助の在り方というものが何であるのかを考えさせられる光景でした。

そのような情報に接した私の素朴な疑問は、何故、こんな危険な場所に行かれているんだろう。何故、そこまでしてアフガニスタンの人たちの生活向上に尽力されているのだろう。というものでした。

その崇高さに圧倒されて、平和な日本で生活をしている私には理解できませんでした。

普通のことを普通にしているだけです

そして今回その答えになるような言葉が、中村哲先生の追悼会で挨拶された先生のお嬢さんから発せられました。

私が拝見した記憶では次のような内容だったと思います。

皆さんがされる「何故、このような過酷なことをされているのですか。」という質問に対して父はいつも言っていました。「私は、何も特別なことはしていない。普通のことを普通にやっているだけです。」と。

この言葉を聞かせていただいたとき、何とも言えない衝撃を受けました。中村先生が特別な意識を持って、特別なことをされていらっしゃると思っていたからです。この言葉が脳裏を駆け巡った後、私の疑問が愚者の疑問であったと感じました。

人助けというとそれは特別なことで、周りの人にもわかるようにのぼりを立てたようにして行動していました。

「私は、何も特別なことはしていない。普通のことを普通にやっているだけです。」

この言葉で、人助けは普通のことで特別なことではない、という深い意味のあることを教えていただきました。

教えていただいたのですが、人助けを普通なこととして自分にできるのかと言われればまだ私の人格はそこまで達していません。

しかし、このようなことを教えられた私は、どうして自分の考え方がこうなったのか考えさせられました。人間のレベルが違うというのが一番ですが、少しでも近づくためには何が必要なのかを自分なりに理解したい衝動にかられたのです。

私がおこなったことがある人助けは、中村先生の人助けに比べましたら次元もレベルも比較のしようが無いほど微細なものであることを前提に言わせていただくと。

人助けを目的と考え、頭で考えて行動していたように思います。

しかし、一番足りなかったのは自分自身の人格だったことのように思います。「してあげている」という感覚自体が間違っているということにも気付かされました。

むしろ、させていただいているという気持ちで行動することが必要だったと思います。

私自身がこのような心情の変化を心の中に定着させるのは、容易ではないことは理解しています。

しかし、努力しなければ近づけないことも解っています。

もう遅いとは思わずに、明日からでも道徳というものを学び直そうと思います。

成長しようとする意志を持てるか

人生は長いようですが短いものです。そして、自分自身で勘違いを修正しないままに生きている部分もあります。また、勘違いに気付いたら早く修正をしないと時間はどんどん進んでいきます。

少しでも社会のお役に立つ人間になるためには、まず自分自身の人格を磨かないといけないことが解りました。

「私は何も特別なことはしていない。普通のことを普通にやっているだけです。」この言葉を心に刻みます。そして、人格が向上出るように、少しずつですが努力いたします。

中村哲先生、本当にありがとうございました。

最後に、ペシャワール会及び中村哲先生の崇高な功績に関しまして、私の未熟な知見で未熟な文章を書かせていただきましたことをお詫びいたします。